私の外反母趾体験記 その2
さて、前回の続きになります。
バレエスクールに通うようになって、
中学2年生までバレエを続けていました。
「親指の付け根がでっぱってきてい痛い」
という体験は、バレエを辞めれば、おさまると思っていました。
私は、中学3年生になるときに転校しました。
その転校先の中学校は、前の中学と違って、
なぜかスニーカーが禁止でした。
みんな女の子は、ローファー(革靴)を履いていたのですね。
このローファーが更に足に負担をかける原因になったのです。
中学のときに履いていたローファーは
市販のものでした。
高校生のときのローファーよりも足に負担がかからなかった
ように思います。
また、高校受験もありましたので、
さほどこの中学のときのローファーの記憶はないのです。
しかし、高校に行くと制靴というものがあり、
その高校の指定するローファーを履くことになります。
このローファーが外反母趾の悪化を招いたように
私は感じました。
履いている最中も痛むのですが、それよりも
家に帰り、靴を脱いでからの痛みが気になりました。
ズキズキ痛むのですね。
両足の外反部分が痛むのではなく、必ずどちらかの足が
痛みました。
皆さんは、左右どちらの外反母趾が痛みますか?
人によっては、片足しか痛まない人
両足のどちらかが痛む人とあると思います。
実は、両足同時に痛むことってないのですね。
両足に痛みが出たとしても、どちらか片方だけ
その時は痛みが出るはずです。
ですから、意識していなかった方は、どちらの足が
どういう頻度で痛むのか観察してみてくださいね。
(こういう事を知ることも、外反母趾矯正整体を
するための重要な情報になります。)
一番、しんどかったのは、夜寝ているときに
痛みで目が覚めることでした。
寝ていたいのにズキズキとした痛みで目が覚めるのは最悪でした。
耐えられないので、痛む部分をわざと床にたたきつけることで、
痛みが軽減するのではないか・・・などと、その頃の私は、
浅はかに考えて、その部分をよく床に打ち付けていました。
床には絨毯がひいてありましたが、
打ち付けて痛みが収まるのを待ったものです。
こうすれば、痛みがすぐ収まるわけではなかったのですが、
何もせずに、痛みに耐えることができませんでした。
なぜなら、寝ている最中って一番警戒心がない、
体の力がある意味脱力している状態です。
他の外的な刺激はなく、内的な外反母趾の痛みをダイレクトに
感じてとてもツラかったのを覚えています。
足の親指の付け根の痛みが一番ひどかったのは、ローファーを履いていた
高校生の時だと思います。
大学や社会人になるとある意味靴を選べたりするので、
足に負担がかからなそうな?靴を選んで履くことができました。
もちろん、若い頃は、足の痛みよりも素敵な靴を履く方に
重点が置かれます。
このように外反母趾の痛みと一緒にあることは、
私にとって、当たり前の日常生活の一部・・・となっていったのでした。